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    2024年11月23日11:35
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コメント[ 0 ]TB[ ]    2004年11月27日23:59
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水谷先生を知ったのは、先月ぐらいかな? 
NHKで先生のドキュメンタリーを見た。
先生の生きざまに、心の底から涙と感動を貰いました。
こんな人が、いたなんて!!

■水谷先生著書
夜回り先生の卒業証書 冬来たりならば春遠からじ
ドラッグ世代 薬物汚染と闘う夜回り先生
さらば、哀しみの青春 伝えたい。闇に沈む子どもたちの哀しみを…
さよならが、いえなくて 助けて、哀しみから
夜回り先生
夜回り先生と夜眠れない子どもたち
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CATEGORY[コラム]
コメント[ 0 ]TB[ ]    2004年11月26日23:56
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いいもんだよ、生きるって
    〜夜回り先生・水谷修のメッセージ〜

定時制高校教諭の水谷修48歳。シンナー、覚せい剤などの薬物汚染から若者たちを救い続け、年間300本以上も講演を行って薬物の恐ろしさを訴えている。

今、日本では薬物汚染が急速に広がっている。低年齢化も進んでいる。授業のない午前中や休日には全国の中学・高校や自治体などを回り、声を振りしぼる。薬物で命を落としていった教え子のこと、今も苦しむ若者たちのことを涙ながらに2時間語る。会場は静まりかえり、聴衆たちも涙に包まれる。

講演が終わると繁華街を巡回し、グレている若者たちに声をかける。「困ったら連絡しろ」と自宅の電話番号を渡す。「夜回り先生」・・・・
いつしか彼はそう呼ばれるようになった。帰宅すると深夜3時まで電話は鳴り続ける。全国の薬物依存の若者が水谷にSOSを訴えてくるのだ。最近はリストカットを続ける子供たちが救いを求めてくる。

個人のホームページにも若者からの書き込みは絶えない。その1つ1つに返信し、異常を感じたらすぐに連絡をとる。まずは子どもに寄り添うこと。そして「生きるって、いいもんだ」と少しでも感じさせること・・・。それが水谷の信念だ。
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コメント[ 0 ]TB[ ]    2004年11月25日01:56
少し、「二十歳の原点」高野悦子さんについての文章を見つけましたので引用させて頂きます。

「独りであること未熟であること、これが私の二十歳の原点である。」
あまりにも有名なこの一節からこの本は始まっていく。
「二十歳の原点」は1960年代後期、いわゆる学園紛争はなやかりしころの
立命館大学の文学部史学科の女学生の書いた、痛切な魂の言葉が綴られた日記である。
栃木県で生まれ育った彼女は、修学旅行で訪れた古都の佇まいに引かれ、
首都圏の大学ではなくあえて京都・立命館へ進学する。
そして、アジビラが舞い、機動隊が学生達を排除しているキャンパスや、厳然と存在する
様々な差別、さらに様々な人間関係の中でもがき苦しみ、三回生になったある日、
彼女は列車に飛び込みその短くはかない一生を閉じる。
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コメント[ 0 ]TB[ ]    2004年11月24日23:59
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「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」

と言う文章をみなさんは知っていますか?
高野悦子さんという方が、いまから35年前に書いた文章です。
今日、友達のホームページのMonkey Bananaに成人式とあって、それから連想する言葉を書くのだが、何の躊躇いもなく無意識に「二十歳の原点」と書いていた。

高野悦子さん
昭和24年1月2日生まれ。
立命館大学入学後、学生運動に参加。
44年6月24日未明、鉄道自殺

著者は、高野悦子。昭和44年6月24日、貨物列車へ飛び込み、二十歳の生涯を閉じました。立命館大学の3回生でした。
遺書はなかったが、下宿先には大学ノート十数冊に及ぶ日記が残されていました。
そのページをめくりながら、父親はあふれ出る涙を禁じえなかったといいます。そこには、青春を謳歌しようとしながらも、生きる意味を問い、孤独に震える魂の叫びが、素直な筆致でつづられていたからです。
2年後、この日記をもとに遺稿集『二十歳の原点』が出版されるや、たちまちベストセラーを記録しました。その一部を抜粋します。

2月24日(月)
私には「生きよう」とする衝動、意識化された心の高まりというものがない。これは二十歳となった今までズットもっている感情である。生命の充実感というものを、未だかつてもったことがない。

3月8日
私は今生きているらしいのです。刃物で肉をえぐれば血がでるらしいのです。「生きてる 生きてる 生きてるよ バリケードという腹の中で」という詩がありましたが、悲しいかな私には、その「生きてる」実感がない。
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